あなた薬師じゃないでしょ?
「ワシが薬師じゃ」
その若い女は悪びれもせずに、そう言ってのけた。
私はあっけにとられた。都から下総の片田舎に着いたばかりで、まだ私の頭は冴えていなかったのだろう。
「あの、もう一度お尋ねしますが」私は言葉を繰り返す。「この萩原の郷にご立派なお薬師様がいらっしゃるとうかがったのですが、どちらのお寺でしょうか?」
「じゃから、ワシがその薬師じゃ。この土地にきらびやかな伽藍を備えた寺などない」
女のほうも同じようなことを繰り返した。やっと私はこの年齢不詳の女の悪意を理解する。
「私度僧が何をほざいているのよ! いや、私度僧ですらない! あなたは剃髪もしてない、ただの俗人じゃない! 淫祠邪教で民衆を騙す詐欺師じゃない!」
私は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。後ろから行基さんと杉自が「お体に障ります!」などとなだめているが、気にもならなかった。ここで怒りを飲み込むほうがよほど体に悪いだろう。
「詐欺師じゃと? まさか。ワシは確かな薬師如来の教えをこの下総の民に説いておるのじゃ。そのうえ、実績もある。もし、効き目がなければとっくにこの土地を追われておるじゃろうよ」
なるほどね。奈良の都から絶望的なほどに離れた下総国に、霊験あらたかなお薬師様がいらっしゃるだなんて変だなとは思っていたのだ。まして、七体もいらっしゃるなんてできすぎた話だと感じた。
疑いは当たってしまった。真相はお薬師様と言い張っている悪徳宗教者が一人いて、地元ではそれなりに目立っていたというわけだ。
この病気が治るかもと、まんまと釣られた私も悪い。
しかし、この女を許せるかどうかは別だ。そもそも犯罪者だし。
私は両手にそれぞれ五本の五色の糸を出す。
幼い頃から私は絹糸を扱う不思議な力が備わっていた。御仏の祝福の証しなどと褒めそやされてきた。それが事実かはわからないが、仏の道を惑わす敵に使えるのなら悪くはないだろう。
「この松虫、天を統べる我が父の帝に代わって、あなたを捕えることにするわ」
「ああ、松虫姫は不思議な力を持つ姫であると言われておったな。なるほど、看板に偽りなしじゃのう」
女は徒手空拳。錆びついた農具の一つもない。決着はすでについているようなものだ。
「黙りなさい。あなたを縛り上げて、国司に突き出してやるわ!」
しゅるしゅると五色の糸が両手から一斉に伸びて、自称薬師の女に襲いかかる。武士の花井の権太夫や角の鋭い大牛をけしかけないだけマシだと思いなさい。私も殺生はしたくない。
しかしその女に触れたかと思うと、糸ははじかれたように離れていく。
「なっ! そんなバカな!」
私は再び、糸を操る。この糸はこれまでも悪人をことごとく絡めとってきた。どんな武官よりも無法者を捕えるとまで奈良の都では言われてきた。それは今も変わらないはず。
なのに、その女には糸が効かない。
見えない壁でもあるかのように、糸が届かない。
「どうしてよ! 私は選ばれし者なのよ! 生まれだけじゃない! この五色の糸こそ、その証拠なんじゃないの?」
「ふはははっ! まあ、こんなところであろうよ」その女は大きな声で笑う。「姫君よ、少々都でわがままに育ちすぎたのではないか? すぐ近くにあった興福寺で唯識など学ばれてはいかがかな? 我慢――自分は偉いと慢心することは心も体も曇らせる基よ」
「詐欺師に言われたくなどないわ!」
私はなおも糸を操る。糸をはじくだなんて、きっとこれは詐欺師の手口だ。企みを見破れば、これぐらい……。
その時、私の体に雷のような痛みが走った。
まただ。いや、これははりきりすぎたせいか?
わからない。とにかく力が入らない。
私はがくりとその場で膝をついた。
「姫様!」とすぐに背後から乳母の杉自が飛んできた。
杉自の香のにおいが鼻をついた。なつかしい薫香で少し気がまぎれたが、体の痛みはまだ消えはせずに、私の意識は薄れていった。
「おやおや、今日は限界か。まあ、ワシはこの土地で薬師の教えを弘めておるから、気が変わったら遊びに来ればよいわ」
最後に女の人を食ったような声が耳に残るのが不快だった。