龍願と下総での日々
龍願という女は逃げも隠れもしなかったので、本当にすぐに見つかる。
ただ、何度挑んでいっても、糸は龍願には届かなかった。
結局一週間経っても、私は一矢報いることもできず、病状のほうももちろん何も変わらなかった。
郷の人たちは都から来た私たちを丁重に扱ってはくれたが、こっちがお荷物になっているのは私もよく理解していた。それで租税が免除されるわけではない。私たちは郷に何も関われていない。
その日は、龍願は郷のはずれで農具の修理をしていた。
私は後ろから五色の糸をぶつける。
だが、それも案の定はじかれてしまう。
「ずいぶんなあいさつじゃのう。じゃが、無駄なものは無駄じゃ。薬師仏にそのようなものは効かぬ」
龍願はむすりとした白い目で私のほうをにらんだ。
「あなたが邪教とはいえ、力を持っていることは認めるわ。皇女が認めてあげるんだから、感謝しなさい」
「邪教ではない。民のため、世のための薬師仏の大法をワシは修めておる」
「ねえ、私の病を治してくれたら、あなたの罪を赦してあげてもいいわよ」
「松虫姫よ」龍願は子供を叱る親のような顔になった。「そなたはせっかくこの地までたどりついたのに、薬師仏の大願をまったく理解してない」
「知っているわ。今の都ほど仏教熱の強いところはないんだから。薬師如来はまだ菩薩の時代に人を救いたいという願いを抱かれた、だから人を救う薬師如来になった」
そんなことは『薬師経』に書いてある。興福寺の僧から何度も聞いた。
「知っておるのと、わかっておるのとでは一と千の違いがあるのう」
と、また痛みが起こった。
すぐに顔が歪み、立っていられなくなる。
まったく! どこまでもこの痛みは私についてまわる!
「ああ、もう、見ていられんな」
龍願はさっと私の体を支えるようにすると、そのまま担いで、歩いていった。
「やけに気前がいいのね」
「薬師仏は分け隔てなく救わねばならんからのう」
痛みがかすかにやわらいだ気がする。まるで龍願が肩代わりしてくれたようだった。
担がれていく間、私はその村の暮らしぶりを眺めていた。大人も子供も顔は土で汚れている。服も破れていない者のほうが珍しい。
「ここはとても貧しいのね。生きることも苦しみだと仏教で言っていたのを思い出したわ」
「都とはえらい違いじゃろうな。それでも、お前さんは都の外を見た分、賢くなったじゃろう」
「ずっと貧しいまま暮らさないといけないだなんて、不幸なことね。病気を治しにここまで来た私が幸せや不幸を決めるのも愚かな話だけどさ」
この気持ちは傲慢なものに由来するのかもしれないが、私はたしかにかわいそうにと思った。
「しかし、貧しいなりに支え合って暮らしておるし、その中に幸せもある。ワシもその支えの一つになれればと思うておるのじゃ」
「高貴な生まれであることを非難されても、私の服をあげるわけにもいかないわよ。それじゃ数も限られているし、もらった人がほかの人にねたまれるだけだわ」
郷の長の屋敷が近づいてくる。そこで天高く鍬が上がっているのが目に入った。
大男の権太夫が畑を耕すのを手伝っているのだ。刀を振るうわけにもいかないから、ちょうどよいのかもしれない。
「あの男は頭は悪そうじゃが、根はよさそうじゃの。なんとも楽しそうに鍬を動かしておる」
「一言余計よ。私のために選ばれた護衛なんだから、人格も立派でなければつとまらないわ。それに兵衛府の兵は血筋も悪くはないからね」
「人の価値は血筋では決まらぬ」
そんなことぐらいはわかっているわよ。血筋がよくても、心が歪んだ人間なんて、それこそ都で嫌というほど見てきた。
だが、権太夫が楽しそうなことに違いはないと思えた。
「よっ、よっ!」
そんな掛け声とともに権太夫は土を耕していく。大蛇を割いた時よりよほど面白そうだ。
少し思いついたことがあった。
私は手の中に糸を出す。
「減るものは渡せないけど、減らないものならかまわないわ」